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ほのぼの「B級商店街」歩き

東京下町を中心に、決してA級ではないけれど、ほのぼのとした風情ただようB級・C級の商店街を、応援の思いも込めながらぶらぶらと歩きます。

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ほのぶらマン

Author:ほのぶらマン
商店街全盛時代を懐かしむ昭和世代の男です。商店街が少しでも元気を取り戻すことを願いつつ、ほのぼの感を求めてぶらぶらと散歩気分で歩きます。

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皆さまのご感想や情報など、お便りをお待ちします。

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[№271]お岩通り商店会

歩いた日 H25.12.07 【豊島区】 
 都営三田線の西巣鴨駅の南、国道17号の都電新庚申塚電停の踏切の南から北東へ入る道が「お岩通り」です。旧中山道の庚申塚から、商業色の薄い栄和通りを歩いてきて、17号を渡った延長上のこの通りに吸い込まれました。空腹だったので入口近くの蕎麦店「宝家」に惹かれましたが、まずは商店街名の由来である「お岩さん」のお墓を見ようと先に進みました。
 ここも商店街らしさは失われており、歩道はあるものの歩く人の姿は少なく、賑わいにはほど遠い雰囲気です。そんな中に、すばらしく年季の入った看板建築の建物がありました。看板の大きな文字もさび付いてほとんど読めないくらいですが、「新茶」の暖簾がかかる現役のお茶屋さんのようです。そんな文化財級の建物もこの通りでは「点」の存在で、レトロ感が続いているわけではないので、商店街としての個性が見出せません。
 そんなことを考えながら歩くといつのまにか商店街の終端。その手前に、手焼きの「黄金せんべい」とその向かいには和菓子店があって思わず立ち止まりますが、あれっ、お岩さんはどこだったのだろう。地図で確かめると、お岩さんの寺の「妙行寺」の入口を通りすぎていたようです。先ほどの看板建築の付近まで戻って脇道から都電の踏切を渡ると立派なお寺が現れました。
 お寺の方に伺って境内から墓地を進むと、お岩さんのお墓は一番奥にありました。お岩さんといえばもちろん四谷怪談。この寺も四谷にあったものが明治42年に移転してきたそうで、この地が怪談の舞台ではないようです。お墓手前の説明書きには、お岩様が病で亡くなってからお家に災いが続き、妙行寺上人の法華経の功徳で一切の因縁が取り除かれた、とあります。お墓はきれいに管理され、花が手向けられており、思わず神妙に手を合わせました。
 さて、商店街入口付近に戻り、「宝家」で昼食です。お昼のセットもあって庶民的な蕎麦店という感じです。「半かつ丼ともりそば」というCセットをいただき、満腹感を得ました。しかし、「お岩通り」とはいうものの、名前だけの関わりでしょうか。「お岩さん」をもっと活かせる方法はないものか、などと考えるのは余計なお世話でしょうかね。
・なつかし度  ★★☆☆☆
・ぬくもり度  ★☆☆☆☆
・ひょうきん度 ★★☆☆☆
・ふだん着度  ★★★☆☆
・ローカル度  ★★★☆☆

蕎麦の「宝家」などがある商店街
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お岩さんのお墓(妙行寺)
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[№270]栄和通り商店会

歩いた日 H25.12.07 【豊島区】 
 喧騒を極める巣鴨地蔵通り商店街の北の端、庚申塚商栄会との境となる交差点で斜めに交わる道の南方向は折戸通り、北側が栄和通りです。この交差点の角に「庚申塚」があり、栄和通りの起点ともなっています。まずはこの庚申塚にお参りです。
 庚申信仰、庚申塔は各地にありますが、ここの庚申塔は中山道の板橋宿の手前の立場(休憩所)として多くの旅人たちで賑わう江戸の名所であったとの説明書きがあります。その様子は「江戸名所図絵」にも描かれているようです。猿田彦大神ということで、狛犬ならぬお猿様が目を光らせています。
 さて、ここから始まる栄和通りですが、商店街らしさがほとんど感じられないと言っては失礼でしょうか。交差する旧中山道の地蔵通りや庚申塚商栄会との落差が大きすぎます。庚申塚という集客資源に接し、地蔵通りからの滲み出しも期待できる位置にありながら、商業色を失ってしまったように見えます。店舗風の古い建物も残されていますが、現役店はわずかというところ。中ほどの片側は大きなマンションの無機質な建物となり、その一階に用意された店舗スペースでお洒落そうな喫茶店が営業しているのが唯一の救いといえます。
 広幅員の国道17号との交差点までが範囲ですが、その近くに高層マンションも建っているものの、それらの住民の消費需要とは無縁の様相です。都電の庚申塚と新庚申塚の両電停を結ぶ線上にありますが、「栄和通り」の街路灯が寂しげに続き、これを維持するだけでも大変そうです。国道17号近くはビル化しているものが多く、出口角のマンション一階ではクリーニング店が営業していました。結局、興味を引くような店は見当たらないまま、通り抜けてしまいました。
 この交差点で17号を横切った先には「お岩通り」が続きます。思わず、お岩さんの刺激を求めて交差点を渡ってしまいました。
・なつかし度  ★☆☆☆☆
・ぬくもり度  ★☆☆☆☆
・ひょうきん度 ★☆☆☆☆
・ふだん着度  ★☆☆☆☆
・ローカル度  ★★☆☆☆

「庚申塚」を右に見て始まる栄和通り
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商業色がほとんど感じられない通り
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[№269]庚申塚商栄会

歩いた日 H25.12.07 【豊島区】 
 旧中山道上で、「おばあちゃんの原宿」と言われる巣鴨地蔵通り商店街の北の延長上に位置する商店街です。巣鴨駅からは1km以上の距離があり、さすがにここまでは高齢者の喧騒は及ばず、店舗構成も高齢者向け特化ではなく普通の商店街の印象です。この日は、地蔵通りの喧騒を避けて、地下鉄で一駅先の西巣鴨駅に降り、地蔵通りとは反対の北側からこの商店街に入りました。
 北側の明治通り沿いには仏教系大学として知られる大正大学があり、商店街に入ると、頭上の街路灯には「大正大学さざえ堂」の文字とイラストを描いたフラグが下がります。ほどなく左側の間近に半年前に完成した「すがも鴨台観音堂」がそびえ立っているのが見えます。二重螺旋構造の形態から「さざえ堂」の別名を与えられているようです。仏教文化施設として地域交流の場も目指しているそうで、その姿は異彩を放っています。
 新たなパワースポットを得て、商店街も賑わいを増すことが期待されますが、少なくともこの北側部分は地味な印象で、古そうな商店や建物が目立ちます。ただ、旧中山道だけあって、かつては何かの店舗だったのであろう木造建築が風格を見せていたり、看板が剥がれかかった酒店が立派に営業していたり、逆にそういう風情を売りにできないかとも思えます。
 南へ進むと徐々に人通りや店舗密度も増しますが、やはり歴史のありそうな店が多くあって温かみを感じます。餃子店には人だかりができていますが、名物店なのでしょうか。青果店や鮮魚店もあって日常生活ニーズにも応えています。スーパーの「コモディイイダ」も商店街の街並みにすっぽりと溶け込んでいる様子。商店街の中ほどに延命地蔵尊があるのも、旧街道らしいところです。
 都電の踏切の脇にある庚申塚電停は、地蔵通りの北の最寄り駅でもあり乗降客が多く、この商店街の拠点としてもっと活かしたいものです。踏切南の惣菜店「なりたや」でコロッケを買いました。この「なりたや」さん、成田惣菜研究所なるものも持って惣菜コンサルタント業もこなしているようですよ。
 そして、その南の角に庚申塚がある信号交差点から先は、地蔵通り商店街となります。高齢者が踏切の北まで足を延ばすのはやはり無理があるのかなあ。「さざえ堂」をさらに活かせれば良いですね。
・なつかし度  ★★★☆☆
・ぬくもり度  ★★★★☆
・ひょうきん度 ★★★☆☆
・ふだん着度  ★★★☆☆
・ローカル度  ★★★★☆

懐かしい構えの店も多い商店街(都電電停近く)
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古い建物が歴史を語る風景も
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[№268]小桜商店会

歩いた日 H25.11.28 【文京区】 
 神田川が大きく曲がる「大曲」の交差点から川の北岸沿いを、凸版印刷の印刷博物館のビルなどを眺めながら歩いていくと、やがて「小桜橋」という橋にたどり着きます。魅力的な名前ですが、橋の北側にある「旧西江戸川町」の案内板によれば、このあたりの両岸は明治の末ごろまで東京市内屈指の桜の名所だったそうで、夜桜見物の船も出たとのこと。そんな小桜橋から北に向かって巻石通りとの小日向交差点まで直線状に続くのが小桜商店会です。
 全体の印象は、それほど「にぎやか」というほどではありませんが、そこそこ地域に根ざした店舗が集まっているという感じです。食料品は商店街の中ほどにあるミニスーパー「マルエツプチ」で賄われているようで、商店街の構成業種は飲食や歯科医院、美容室などのサービス系が主体となっています。小桜橋近くには巣鴨信用金庫があり、飲食店の中ではネパール料理店なども目を引きます。また、周囲に出版関係企業が多いことを反映して、印刷業の事業所も混じります。
 蕎麦店の「内田屋」で昼食にしました。ご近所の住民のほか、周辺企業の勤務者などにも愛されている店のようでした。小桜橋の袂にも「浅野屋」という蕎麦店がありますが、そちらはちょっと高級そうで、それに比べてここは庶民的な香りが濃厚です。
 鉄道駅から距離がある位置の商店街で、立地面では目立たない存在ですが、その割にはしっとりと独自の雰囲気を維持していると言って良いかもしれません。そしてこの商店街の通りは、「水道一丁目」と「水道二丁目」の境をなします。「水道」とは神田上水に由来する地名で、小日向交差点で交わる巻石通りが上水のルートにあたるそうです。かつては「水道端」という地名もありました。そういう歴史を知ると、商店街も妙に懐かしく見えるから不思議です。
 それにしても今の小桜橋が架かる神田川(江戸川とも呼ばれた)は、首都高速が上空に覆い被さり、かつての桜の名所の面影もありません。洪水防止のための護岸工事で桜は切られたとのことですが、風情を多少なりとも残せなかったものかと、残念に思います。
・なつかし度  ★★★☆☆
・ぬくもり度  ★★☆☆☆
・ひょうきん度 ★★☆☆☆
・ふだん着度  ★★★☆☆
・ローカル度  ★★★☆☆

小桜橋の上から見た商店街
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蕎麦の「内田屋」の前から小日向方面を見る
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[№267]後楽共栄会

歩いた日 H25.11.28 【文京区】 
 飯田橋駅から徒歩数分、小石川後楽園にも近い立地ですが、目立ちにくい商店街でした。しかし近年、この商店街の環境は大きく変貌したようです。それは、南半部分での再開発による住友系の高層ビルの完成と、商店街中程を分断する形で横切る都市計画道路(都道434号線)の開通です。はじめての訪問なので以前の姿はわかりませんが、この変化は商店街にとって革命的なものだったことが伺えます。
 目立ちにくさはそのままで、外堀通りの警視庁庁舎の手前から左に入り、小石川運動場を右に見て次の信号を左に入ります。その道の途中から北に伸びる道がメインの通りですが、左右に大きな真新しい近代的高層ビルが建っています。双方の道路面には公開空地が設けられ、それに沿った両ビルの一階部分に店舗があり、商店街の一部を形成していますが、庶民的商店街の面影は全くありません。
 ただ、このビルの向かいに当たる再開発区域から外れた部分に「小川屋」という格式ありそうな蕎麦店があり、その西側にいくつかの飲食店が並び、かつての商店街らしさの名残を見せています。ビル入居の会社社員たちに重宝されているようです。
 高層ビル一階にも「ともえ寿司」がありますが、再開発以前からの店でしょうか。以前あった店でビル内に再入居できたのはどれだけあるのでしょう。新しいビルは綺麗ですが、何か無機質な感じです。
 そして、近年開通の広幅員の道路が斜めに横切る先に、この続きの昔ながらの商店街が続いています。このギャップが何とも言えません。信号を渡って入っていくと、営業店数は少ないものの何かほっとする感覚に包まれます。家庭日用品の「大和屋」や天ぷら店等が渋い雰囲気を醸しています。南半の再開発ビルとは無縁のような佇まいです。中程左には鳥居があり、諏訪神社ですが、境内には赤い鳥居が並ぶ稲荷大明神もあります。鳥居手前に旧町名が諏訪町である旨の区の説明板があり、この神社とともに生きてきたまちであることがわかります。
 枝道にもいくつかの加盟店があるようですが、商店会の範囲の広がりはよくわかりません。いずれにしても新旧のコントラストをこれほど強烈に見せる商店街も珍しいでしょう。少々複雑な心境で大曲交差点方面に出ました。
・なつかし度  ★★☆☆☆
・ぬくもり度  ★★☆☆☆
・ひょうきん度 ★★★★☆
・ふだん着度  ★★☆☆☆
・ローカル度  ★★☆☆☆

高層の再開発ビルに向かい合う飲食店群
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北側の旧来からの風情を残す部分
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[№266]国技館通り商店会

歩いた日 H25.11.20 【墨田区】 
 ご存じ両国国技館の門前町とも言って良いところです。両国橋から続く国道14号の回向院の前から国技館へと続く広い道で、その両側に商店街が形成されています。JR両国駅前通りとも言えます。当然のことながら国技館、相撲とは縁が深く、両側の歩道には力士像が何体かずつ置かれています。
 その意味では、生活密着型というよりも広域集客型、観光型の商店街と言えるのでしょうが、その割にはこの商店街の店舗自体に観光色はあまり強く感じません。通り沿いに3軒ほどのちゃんこ店があるほか、周囲にも多くのちゃんこ料理店があり、私も何度か食したことがありますが、そういう個性的な店はあるものの商店街としての強烈なインパクトを感じにくいのは、業種の偏りのせいでしょうか。
 あるいは、両国で行われる初場所、夏場所、秋場所の時期の集客がイベント的で、それ以外の時期は大人しくしていて構わないといったところなのでしょうか。しかし、両国界隈はいわゆる大型店がなく、商店街の競争環境は比較的良好とも考えられ、近くに江戸東京博物館や回向院、吉良邸跡などの観光名所を抱える土地柄を活かして、商店街全体の個性づくりにより日常的にもっと人を集められる可能性はあるのではないかとも思います。
 回向院は、江戸時代には全国の寺社からの出開帳が盛んに行われたところで、多くの庶民が押し寄せ周囲は喧騒を極めたとのことです。そんな時代を連想させる雰囲気は薄いですが、そんな中で、「国技堂」は、相撲の本場らしい店構えと名称で菓子等を売る貴重な店と言えます。また、力士も国際化していますが、国道との角付近にインド料理店ができているのもご愛嬌というものでしょう。
 ちゃんこ料理店以外にいくつかある飲食店の中で、そば店の「大関庵」に入りました。店内には相撲関係の装飾がありますが、それ以上に私の目を引いたのは、店内に腰掛けている老店主とその奥様の若いころの仲睦まじい写真が何枚か貼られていることでした。そんな温かみを感じる店で、両国らしい名の「大関うどん」をそばに変えていただきました。腹ごたえのある力そばで、身体が暖まりました。
・なつかし度  ★★☆☆☆
・ぬくもり度  ★★☆☆☆
・ひょうきん度 ★★☆☆☆
・ふだん着度  ★★☆☆☆
・ローカル度  ★★★★☆

可愛い?力士像がある商店街
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ちゃんこ店やそばの「大関庵」などの並び
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[№265]公民館通り商店会

歩いた日 H25.11.16 【千葉県浦安市】 
 地下鉄東西線浦安駅の南側、幹線道路が交差する駅前交差点から南方向に斜めに入る道があり、それを公民館通りと呼んでいるようです。交差点から150mほど進んだ左側に浦安市の中央公民館があり、浦安市商連のホームページによると、その沿道の商店で「公民館通り商店会」が形成されています。
 駅近くですが、それほど繁華な印象ではなく、商店も「軒を連ねる」ほどではなく点在といった感じです。商連ホームページに掲載された店名は7店だけで、通り入口にある韓国料理店や通り内に2軒ほどある不動産店などは商店会には属していないのでしょうか。ガス器具などを扱う店の右側奥まったところにある割烹・天ぷらの「立花屋」は商店会員のようで、きっと古くからの店なのでしょう。建物は年季が入っていそうですが白い清潔そうな暖簾がかかっていました。
 その向かいあたりに、市教育委員会による「浦安小学校跡」の掲示板があります。この猫実から堀江にかけての一帯は、漁師町だった浦安の元々の中心地で、小学校は明治27年に開校したのだそうです。昭和42年に移転したとのことですが、その間、大正6年の大津波、同12年の関東大震災で大きな被害を受けたとの記載があります。ここでの大津波とは、地震によるものではなく、台風と高潮により東京湾奥部が広範囲に水没した災害で、今でこそ埋め立てで海は遠くなりましたが、当時は海が目前で、その被害は甚大だったようです。
 さて、この通りで最も存在感があるのは、南の端近くにある焼き蛤の「さつまや本店」でしょう。漁師町の名残を感じさせる店で、遠来の客と思われる方々が店内で品定めをしていました。ただし、前後も含めて建物は近代化されており、街並みに歴史的風情はありません。
 通りを浦安市のコミュニティバス「おさんぽバス」が走り抜け、南の端の交差点で左に曲がっていきます。その正面には「猫実の庚申塔」があり、その上に「庚申通り入口」のアーチがかかりますが、その右側にある青果の「赤馬商店」は公民館通りの所属のようです。やっと日常型の生活感ある店をみつけてほっとさせられました。
・なつかし度  ★★☆☆☆
・ぬくもり度  ★☆☆☆☆
・ひょうきん度 ★☆☆☆☆
・ふだん着度  ★★☆☆☆
・ローカル度  ★★★☆☆

商業色の薄い公民館通り(右が中央公民館)
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焼き蛤の「さつまや本店」
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[№264]堀江フラワー通り会

歩いた日 H25.11.16 【千葉県浦安市】 
 浦安の旧市街地を流れ、この街が漁業で栄えていた時代にはその中心軸であった境川の南に並行する通りがフラワー通りです。境川北側の猫実で庚申通りを西から東へ抜けたあたりで南を見ると橋の上に「堀江フラワー通り会」の街路灯があり、その下で橋を渡ると正面が東学寺です。ここから右(西方向)へとフラワー通りが続きますが、しばらくは商業色がほとんどなく住宅地の様相で、古い街ですが真新しい建物に建替えが進んでいるのが、勝手ながら惜しい気がします。
 そんな中、生花店がポツンと営業していたりするのを見ながら進むと、左に正福寺。これもまた立派なお寺です。新しく改築された家屋に挟まれる位置にある歴史感濃厚な旧家の建物も、残したい貴重な資源といえるでしょう。ただ、そのすぐ先で、南北に横切る都市計画道路が開通間近で、このあたりの景観も今後急速に変わってしまいそうです。
 その先も商店街らしくない住宅街の景観が続きますが、右側に忽然と現れるのが「旧浜野医院」の堂々たる洋館です。前庭が「堀江つどいの広場」として整備され、建物は大切に保存されているようです。理髪店や金物の「徳兵衛商店」、日本料理の「天ぷら九重」など、やっと商店がポツポツと現れはじめますが、その密度は高くありません。蕎麦店の「天啓」は、あとで調べるとカレー南蛮が名物のようで、ここで昼食にしなかったことが悔やまれます。
 正面突き当たりに清瀧神社が見えるようになるあたりの右側には、市指定文化財である「旧宇田川家住宅」があります。明治2年からという市内最古の民家だそうで、入館料無料で見学できます。かつてはこのような家が軒を連ねていたのでしょう。古き良き時代の賑わいが想像されます。
 「七五三おめでとう」の大看板が鳥居の脇に掲げられた清瀧神社の前で商店街が終わりますが、ここも、商店街としては寂しいものの、漁師町の名残を求めての街歩きには価値ある通りであると言えそうです。「フラワー通り」などというカタカナ名ではなくて、歴史あるまちに相応しい名に変えたいなどと勝手な思いを描いていたら、出たところに「フラワー通り」というバス停がありました。やはり歴史的風情の保存などを願うのは、よそ者の身勝手なのでしょうね。
・なつかし度  ★★★★☆
・ぬくもり度  ★★★☆☆
・ひょうきん度 ★★★☆☆
・ふだん着度  ★★★★☆
・ローカル度  ★★★★☆

「天ぷら九重」などがある街並み
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保存されている「旧浜野医院」
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