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ほのぼの「B級商店街」歩き

東京下町を中心に、決してA級ではないけれど、ほのぼのとした風情ただようB級・C級の商店街を、応援の思いも込めながらぶらぶらと歩きます。

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ほのぶらマン

Author:ほのぶらマン
商店街全盛時代を懐かしむ昭和世代の男です。商店街が少しでも元気を取り戻すことを願いつつ、ほのぼの感を求めてぶらぶらと散歩気分で歩きます。

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皆さまのご感想や情報など、お便りをお待ちします。

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[№804]八重洲地下街(八重洲地下1・2番通り)

■■■・・・半世紀の歴史を刻む地下街も、駅から離れた部分は落ち着き感も
歩いた日 R01.08.03 【中央区】 

 「命の危険」とまで言われる炎暑の土曜日の午後。さすがにどこか涼しいところで遅めの昼食を、と思いつつ電車に乗ってしまって、たどり着いたのが東京駅。夏休みの週末なので駅構内は相当な人出でまっすぐ歩けません。ふと思い立って八重洲地下改札を出て八重洲地下街に向かいました。
 八重洲地下街は東京駅一番街とつながっていて、意識しなければどこが境目かわからず、かつ隣接のビル地下商店街や大丸の地階売り場ともつながっているので、総体の地下街規模としては日本有数です。その中で、八重洲地下街は、外堀通り及び八重洲通りの地下の「T」字型エリアの部分で、外堀通り部分の下には首都高速八重洲線が通っています。
 この地下街は、「東京駅八重洲パーキング」という地下駐車場と一体の「八重洲地下街」という会社の経営によるもので、駐車場は昭和30年代から、地下街は昭和40年ごろからあり、すでに半世紀以上の歴史を刻んでいます。東京駅という大ターミナルの駅前地下街であるものの、あまり気取ったところがなく、なんとなく親しみやすいと思えるのは、それだけ年季を積んでいるせいでしょうか
 地下街の通路は、地上の道路名に忠実に、「外堀地下1・2番通り」、「八重洲地下1・2番通り」等の命名です。駅に近い外堀地下の部分は旅行客などが多く落ち着かないので、やや離れた「八重洲地下」に進みました。ここまでくるとキャリーバッグを引いた旅行者の姿も少なくなります。
 1番通りと2番通りが並行し、その両側に店舗が並びますが、入口部分にあるのが「北海道フーディスト」という店舗。北海道の食材・食品の専門店で、夕張メロンソフトを頬張る人たちの姿が見られました。2番街右側の「シャツプラザ」と「タカキュー」の並びは、ビジネスマンの需要に応えており、私もここでワイシャツを買ったことがあります。
  <八重洲地下通り入口にある「北海道フーディスト」>
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  <やや落ち着いた雰囲気の地下街>
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 奥へ進むと飲食街となりますが、お高い感じはなく、幅広い層が気軽に入れる店が並んでいます。「蕎麦きりみよた」とスパゲティの「CHAYA」のどちらにしようか迷いましたが、後者に入りました。以前も何度か来た記憶がありますが、おじさんが独りで入ってもおかしくないカウンター形式の店で、しっかりとした「腰のある」味わいです。
  <「CHAYA」など飲食店が並ぶ一番奥の部分>
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 突き当たりには「イーストスポット」という休憩スペースがあり、そこから地上に出ると中央通りです。地名ではここが日本橋と京橋の境界になります。
  <休憩スペースの「イーストスポット」>
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  <中央通り側の地上出入口>
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・なつかし度  ★★★☆☆
・ぬくもり度  ★☆☆☆☆
・ひょうきん度 ★☆☆☆☆
・ふだん着度  ☆☆☆☆☆
・ローカル度  ★★☆☆☆

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[№735]横山町馬喰町新道通り会

■■■・・・狭い直線の道沿いに密度感高く繊維問屋が連なり賑わう歴史ある街
歩いた日 H30.10.29 【中央区】 

 この通りも、横山町、馬喰町の繊維問屋街の中心をなす通りのひとつです。横山町大通りが一番の中心的存在ですが、その北西側に並行する道幅4mほどの道で、この通りが日本橋馬喰町と横山町の境界をなします。新道は「しんみち」と読み、何か所かにある門型アーチには「NEW ROAD」の文字もあります。
  <新道通りの問屋街風景(1)>
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 基本的には問屋街なので一般の人の買い物はできません。洋服、呉服、タオル、靴下、鞄などそれぞれ専門店が軒を連ねますが、「素人お断り」で、各地の小売店の仕入れの場であることは横山町大通りと同じです。浅草橋交差点から清洲橋通りを跨いで400m以上にわたって続きますが、横山町大通りと比べて道幅が狭いこともあって人や店の密度の高さを感じ、問屋の衰退が言われる中でもまだまだ健在と見ることができます。
  <新道通りの問屋街風景(2)>
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  <新道通りの問屋街風景(3)>
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 ただ、周辺では問屋が撤退した跡地にホテルが建てられたり、今風のカフェにリノベーションされたりという例も増えており、やはり少しずつ情景は変わっていきそうです。
 リノベーションというほどではないですが、仕入れに来る人たちなどを相手にする飲食店がちらほら混じります。問屋に囲まれるようにあった讃岐うどんの「ちょうさ」は人形町に移転してしまいましたが、横切る道沿いに4階建てビルをそのまま使っているインド料理店「ダクシン」は繁盛しているようです。この日は、南西端付近にあるとんかつの「はしや」で昼食にしました。この店は数年前に近くから移転してきたもので、仕入れ客というより近所のビジネスマンがいつも行列しています。
  <ビル丸ごとインド料理の「ダクシン」>
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  <とんかつ「はしや」があるあたり>
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 中央付近の角の「日本橋クリニック」が入るビルはなかなか重厚なつくりで、歴史を語る象徴のようにも見えます。さらに歴史をさかのぼると、馬喰町の地名は、隣接する大伝馬町、小伝馬町との関係もあって、江戸時代には馬市が立ち、馬や牛を仲介する「博労(ばくろう)」が集積していたことに由来します。横山町側には江戸時代から問屋の集積がありましたが、馬喰町はそれらへの遠来客等のための大小の旅籠が集積する江戸随一の旅館街であったということです。
 新道通りは、両町の境の溝の上に板を張って通行したのが始まりで、関東大震災後に「新道通り」となって問屋街として発展したとの記述が「馬喰町横山町新道通り会」のホームページにあります。
  <中央付近のクリニックが入る重厚な建物>
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・なつかし度  ★★☆☆☆
・ぬくもり度  ★★☆☆☆
・ひょうきん度 ★☆☆☆☆
・ふだん着度  ★☆☆☆☆
・ローカル度  ★★★★☆

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[№734]横山・橘通り共栄会

■■■・・・繊維問屋街の一角だが、飲食など問屋のサポート機能が目立つ通り
歩いた日 H30.10.29 【中央区】 

 日本橋横山町、馬喰町界隈といえば日本有数の繊維問屋街で、その中心軸をなすのが「横山町大通り」ですが、問屋はこれを中心に面的に広がっています。また、各地から仕入れにくる小売商などのための飲食店も、「飲食店街」を形成するほどではないですがこのエリアに点在しています。都営地下鉄浅草線東日本橋駅、同新宿線馬喰横山駅、JR総武快速線馬喰町駅の3駅が地下でつながり利用可能で、東京駅からも2駅と利便性が良いこともあって、近年は問屋の衰退とともにIT系などのオフィスやマンションなども増加しているようです。
 「横山町大通り」は以前紹介したので、今回はその一本東に並行する「横山・橘通り共栄会」の通りをレポートします。「日本橋横山町」は今もある地名ですが「橘町」は地名としては消失しており、今はこの通りが日本橋横山町と東日本橋三丁目の境をなす形となっています。
  <問屋街の本領を発揮している北端付近>
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 大きな一方通行の清洲橋通りを跨ぐ形で通りは形成されており、その清洲橋通りとの交差部の両側に商店会名入りの大きなアーチがかかっています。その角には事務用品や包装用品、店舗用品などの専門商社である「シモジマ」横山町店の店舗が構え、地下鉄の出入り口もあります。
  <清洲橋通りが横切る付近(寿司の「群八」など>
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 この通りは問屋街そのものというよりも、それをサポートする機能が集積しているという感が強く、飲食店をはじめ、横山町大通り側との両側に面する「横山町奉仕会館」などが目立ちます。もちろん、店頭に段ボール箱が山積みの問屋もありますが、この界隈の問屋等が主対象である「東京実業健保組合」の会館が大きな間口を占めるなど、これもサポート機能ですね。
  <「東実健保会館」などの並び>
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 飲食店では、洋食喫茶の「バルーン」が古風な店構えで営業しているほか、最近この界隈で増えている新タイプのカフェがここにもできています。寿司の「群八」はだいぶ前に入ったことがありますが、握りの一貫がとても大きかった記憶があります。どこもランチ時には満席となりますが、その名もずばり「珈琲屋」という喫茶店のランチも一度味わってみたいと思っています。
  <洋食喫茶「バルーン」やニュータイプのカフェなど>
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  <喫茶店「珈琲屋」もある飲食店等の並び>
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 そういうわけで、少々とりとめがない印象でもありますが、良く見ると、年代物の素敵なビル建築があったりします。でも変化が激しい街なので、常に注目し続ける必要もありそうです。

・なつかし度  ★★☆☆☆
・ぬくもり度  ★★☆☆☆
・ひょうきん度 ★★☆☆☆
・ふだん着度  ★☆☆☆☆
・ローカル度  ★★★★☆

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[№545]銀座ファイブ

歩いた日 H28.08.30 【中央区】 
 都心の無料高速道路の下に帯状に連なるビル群のひとつで、「西銀座(NISHIGINZA)」の南に晴海通りを隔てて続くのがこの「銀座ファイブ」です。かつての名称は「数寄屋橋ショッピングセンター」で、平成12年に名前は変わりましたが、会社名は未だに数寄屋橋ショッピングセンターです。
 近年、すぐ隣では、これも長年親しまれた数寄屋橋阪急(後年はモザイク銀座阪急)が4年前に閉店し、今年3月に「東急プラザ銀座」が誕生しています。それでもここは、そんな周囲の変化に引きずられることなく、独自の雰囲気を保ち続けています。やはり東京高速道路とともに昭和32年から60年近い歴史を刻んでいます。
 上が道路なので、地上2階、地下1階の3層ですが、各階で雰囲気がまるで違うのが面白いところ。1階は銀座らしく、ファッション店やジュエリー店が並び、ここは、おじさんにはあまり縁がないフロアですが、そんな中に「スッポン堂」が混じったりしています。
 2階に上がると、そこはまるでアンティーク街。全体が博物館のようにアンティークショップが並びます。ホームページで数えると計14店。思わず値札の桁数を数えてしまう骨董品などが並びます。土曜なのに閉まっている店があるなあと思って覗くと「買い付けのため閉店中」などの表示が。なるほど。それぞれ独自の仕入れルートがあり、これを求めに来る上客がいるのですね。
 一方、地下は銀座にしてはリーゾナブルな飲食街。ベトナム、インド、タイ、中華などアジア系の屋台ムードの店が多いのですが、その中に仙台牛たんの店やスターバックスが混じっていたりします。南端にある「トリコロール」は気軽なスタンド喫茶で、私も何度か入ったことがあります。
 北端で地下鉄銀座駅に直結していますが、そこにある「そば 俺のだし」で昼食にしました。「俺のイタリアン」、「俺のフレンチ」などを展開する「俺の」シリーズの「そば」店で、私はこの日が「俺の」初体験。ランチ時に最も売れ筋らしい「俺の肉そば(冷)」(800円)は結構なボリューム感でした。向かいに相席となった女性2人連れが、頼んだ天丼の大きさを見てびっくりしていました。そんな驚きや不思議感もある「ファイブ」です。
・なつかし度  ★★☆☆☆
・ぬくもり度  ★★☆☆☆
・ひょうきん度 ★★★★☆
・ふだん着度  ★☆☆☆☆
・ローカル度  ★☆☆☆☆

上が高速道路の銀座ファイブ入口部分
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アジア系飲食店が並ぶ地下空間
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アンティークショップ街の2階
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地下鉄直結の「そば 俺のだし」
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(写真の一部はH28.08.27撮影)
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[№544]西銀座(NISHIGINZA)

歩いた日 H28.08.27 【中央区】 
 首都高速道路都心環状線の汐留と京橋の間に、銀座の西側を迂回する支線のような路線があります。これが東京高速道路で、首都高速とは別の東京高速道路株式会社が運営する無料の自動車専用道路です。昭和30年代後半に外堀の埋立地等を利用して順次開業したこの高速道路がなぜ無料で経営できるのかというと、その下が帯状の商業施設ビルになっていて、その賃料が収入源となっているからです。以前紹介した「銀座ナイン」もそうですし、西銀座地区では「銀座ファイブ」、「銀座インズ」などが並ぶ中心的な位置にこの「西銀座(NISHIGINZA)」があります。
 ここは長らく「西銀座デパート」として親しまれてきました。デパートといっても百貨店ではないのですが、有楽町と銀座の接点という絶好の立地で、開業から50年以上経った今も色あせていません。「西銀座」に改称されましたが、運営会社は今も「西銀座デパート(株)」です。今、西銀座という地名はありませんが、直結する地下鉄丸ノ内線銀座駅は、開業時は西銀座駅という名称でした。
 有楽町駅との間を遮るように「イトシア」ができましたが、ここ「西銀座」は我が道を行くという風情で独自の空気を醸し続けています。上が道路のため地上は2階までですが、地下も2階まであって4層の立派なショッピングセンターといえます。微妙なカーブが何とも言えず、です。
 晴海通りにも接し、人の流れを呼び込みやすい環境から、女性ファッションのテナントが大半を占めています。無粋なおじさんにはわからない店ばかりで、道路下の両隣の「銀座インズ」や「銀座ファイブ」と違って飲食店は少ないのですが、地下一階の一番南寄りに「カフェ ブリッジ」があり、ここでティータイムと洒落込みました。昭和の喫茶店という雰囲気で、少々高めですが食事メニューも豊富。かなりボリューミーなランチも楽しめそうです。この日は食事をしてきた直後だったの、懐かしい響きのコーヒーフロートを楽しみました。おじさんが寛げる貴重な空間です。
 肝心なファッション店群は何もコメントできないのですが、外へ出れば有名な「西銀座チャンスセンター」もここのテナントの一員です。ジャンボ宝くじ発売時には長蛇の行列ができるところですね。総じて、50年以上という歴史を感じさせにくい、永遠のシンボルともいえる「デパート」です。
・なつかし度  ★★☆☆☆
・ぬくもり度  ★★☆☆☆
・ひょうきん度 ★★☆☆☆
・ふだん着度  ★☆☆☆☆
・ローカル度  ★★★☆☆

道路下の「西銀座」1階入口
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微妙なカーブがたまらない2階の風景
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カフェ ブリッジなどがある地下一階
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(写真の一部はH28.08.30撮影)
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[№543]銀座インズ

歩いた日 H28.08.27 【中央区】 
 東京のど真ん中、有楽町駅を銀座側へ降りると目の前に東京交通会館やイトシアがありますが、その裏に東京高速道路(これについては次項で書きます)が走っています。この高速道路が千代田区と中央区の境界線に位置するのですが、その道路下に帯状の商業施設が続いています。銀座インズはそのひとつで、交通会館の裏手に相当し、外堀通りを挟んで、間もなくの閉店が決まったプランタン銀座等に向かい合う位置にあります。
 これら一連の商業施設は東京高速道路と運命を共にしていることになり、銀座インズも、前身の「有楽フードセンター」開業が昭和33年とのことなので、もう60年近い歴史を刻んでいることになります。従って、どことなく懐かしく、銀座というハイセンスタウンにありながら、私のようなおじさんでも構えることなく歩ける雰囲気を持っています。
 銀座インズは、交差する道路により3区画に分けられ、南から北へINZ1~INZ3と続いています。INZ1とINZ2の一階部分は大半が女性ファッション等の店なのですが、なぜかその中にラーメンの「大勝軒」があったりするのが面白いところです。この2棟の地下と2階の大半は飲食店街になっていて、その多くは銀座らしからぬ大衆的ムードの店であるのが好ましく見えます。
 そんな中のひとつ、秋田郷土料理の「ハタハタ屋敷」で昼食としました。サラリーマンの昼食ニーズに応えるメニューと価格で、比内地鶏の親子丼を注文しましたが、いずれも1,000円以下です。他に、秋田らしく稲庭うどんのメニューも魅力的です。夜は居酒屋モードの飲食街になるので、気軽に「銀座で一杯」が楽しめます。
 INZ3は一階のみで、その大半をマクドナルドが占めますが、その脇の一角に、大盛りスパゲティで有名な「ジャポネ」があり、いつも行列ができています。私も食したことがありますが、ほぼ完璧にいわゆる「ロメスパ」に分類されるカウンター式の狭い店舗で、客の大半は男性の一人客です。
 屋上が道路というこの特殊な商業施設は、将来どうなっていくのでしょうか。都心の一角でこうした大衆的な店が同居し、気軽に楽しめるこの空間がいつまでも続いてほしいと思います。
・なつかし度  ★★★☆☆
・ぬくもり度  ★★☆☆☆
・ひょうきん度 ★★★☆☆
・ふだん着度  ★★☆☆☆
・ローカル度  ★☆☆☆☆

高速道路下の銀座インズ
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女性ファッション店の中にラーメンの「大勝軒」
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「ハタハタ屋敷」等があるINZ2の地下
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ロメスパの「ジャポネ」
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[№473]銀座ナイン1・2号館

歩いた日 H27.11.18 【中央区】 
 新橋駅から銀座方向に歩くと間もなく、高速道路の下の商業施設「銀座ナイン」が見えてきます。JRの線路側から海側に向かって1号館、2号館、中央通りを挟んで3号館と続いています。今回ここを訪れたのは、平日の都内移動の途中の昼食で、2号館地下にある「れすとらんはと屋」がお目当てだったからです。カウンター形式の気軽な洋食店で、なかなか美味しいのです。
 この2号館地下は、昼夜両用の飲食店が並んでいて、銀座のはずれでありながら新橋との境ということで、夜も比較的気軽なスポットとして重宝するところです。すぐ隣には博品館などもあります。
 「はと屋」のメニューは、フライものやハンバーグなどが主ですがその組み合わせが抱負で、何にしようか迷うところです。この日は「ミックスC定食」を注文。ヒレカツ、コロッケ、ハンバーグ、エビフライが盛り合わされた豪華版ですが、これで950円。ビジネスマンのランチで1,000円前後という値段はやや高く感じるかもしれませんが、銀座という場所柄を考えると良心的と言えるでしょう。時々来たくなる店です。食べている間にもお客さんが次々覗き込み、入れ代わっていきます。
 食べ終わって店を出ると、1時を過ぎているのに向かいのラーメン店「三吉」に行列ができていました。人気店なのですね。1号館を通り抜けて外堀通り側へ出ましたが、1号館の新橋側の外側にもいくつかの小さな飲食店が貼りついています。
 ところで、この上の高速道路は首都高速の一部のように見えますが、東京高速道路という民間会社が道路下のテナント収入で運営し、区間内の通行は無料。「KK線」とも呼ばれます。「KK」は株式会社のことでしょうかね。汐留JCTから京橋JCTまでの間に400以上ものテナントがあるとのことで、それらのビルの屋上をつないで高速道路にしているというわけです。開通は東京五輪の前後というから50年の歴史を刻んでいるわけで、銀座とはいえどこか垢抜けない雰囲気も納得できます。
 1階にはファッション系店舗もあるのですが、銀座と新橋の対照的空気が入り交じった独特の香りを持った空間とも言えそうです。
・なつかし度  ★★★☆☆
・ぬくもり度  ★☆☆☆☆
・ひょうきん度 ★★☆☆☆
・ふだん着度  ☆☆☆☆☆
・ローカル度  ★★☆☆☆

「はと屋」(左)などがある2号館地下一階
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飲食店が並ぶ1号店の新橋側の側面
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[№435]今川小路

■■■・・・戦後のどさくさの名残の光景がまたひとつ消えた
歩いた日 H27.07.15 【中央区】 

 今川小路は既に多くの記事に書かれ、商店街の範疇外かもしれませんが、いよいよ消滅かという情報もあったので、記録にとどめなければという義務感にかられ、平日の昼時に立ち寄ってみました。
 JR神田駅から東京駅方向に数分歩いた線路の高架下。「今川小路」という看板が健在です。秋葉原~東京間の線路の開業が大正14年なので、高架橋自体も相当な年代物ですが、その下にへばりつく店舗群も時代劇のセットとしても十分通用しそうな古さです。線路下を横断するだけの短い区間ですが、ここだけ時代の流れが止まったような佇まいです。
  <時が止まったようなガード下の「今川小路」>
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 ここは、千代田区と中央区の境界であり、その境界線にかつてあった龍閑川という水路が、戦災の瓦礫で埋められ、その上にひしめくように建ち並んだバラック街の名残なのだそうです。龍閑川は、日本橋川と浜町川、神田川を結んでいたもので、その名は、ウィキペディアによれば、日本橋川との接続点付近に江戸城殿中接待役井上竜閑の屋敷があったことに由来するとのことです。
 東北新幹線、上野東京ラインの建設時に消滅かと思われた今川小路ですが、どっこいしぶとく生き残り、今は、上野東京ラインの下部と千代田区側の一部が取り壊されたものの、中央区側の多くは残っています。従ってここでは中央区の分類で扱います。
 訪れたのが昼間で、この居酒屋群の夜の実態はわかりませんが、「大松」、「があどした」、「里」、「柳水」、「まりせ」、「歌家」、「呑ん兵衛神田(ごんた)」、「笹丈」という店たちはいずれも現役と思われます。二階部分が張り出して、住居として使われているようにも見えます。夜の常連の客がいるから成り立っているのでしょうが、その実態を覗きにくるのは恐い気もします。
  <二階部分の張り出しは住居か?>
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 昼の閑散とした姿だけを目に焼き付けて、現場を後にしました。中央通りへ出たところの信号の名が「今川橋」。反対側の「竜閑橋」方向へ出たところには、「東京から故郷おこし」をコンセプトに地域活性化を目指したご当地飲食店の「なみへい」があります。これも昭和家族の代表たるサザエサン家の「波平」からの命名だそうで、こういう店が今川小路の目の前にあるというのもユニークです。
・なつかし度  ★★★★★
・ぬくもり度  ★★☆☆☆
・ひょうきん度 ★★★☆☆
・ふだん着度  ★☆☆☆☆
・ローカル度  ★☆☆☆☆

再び歩いた日 H30.12.15 【中央区】 
 ここ今川小路をレポートしたのは約3年前でした。今回、神田駅に降りた足で、再び訪れてみましたが、「あーっ」です。綺麗さっぱりなくなっていました。早晩こうなる運命だったとはいえ、何もなくなって工事の仮囲いが虚しく設置される光景に呆然としてしまいます。こうして昭和の風景がどんどんと消えて行くのですが、すぐに消えた風景が当たり前になって、人々の記憶からも消されていくのですね。3年前の記録を読み直し、「見届けられた幸せ」をかみしめることにしましょう。
 ここはかつての竜閑川の流路跡。この日はここからこの竜路跡を、元浜町川の交点だったところ(今は竜閑児童公園と竹森神社があります)まで辿って歩きました。この区間は、江戸の明暦の大火の後の防火対策として造られた八丁堤に沿って掘られた神田八丁堀が起源の掘割で、江戸の下町に息づいた多くの人の思いが埋もれているのです。

  <完全に消えてなくなってしまった今川小路>
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[№420]木挽町仲通り(歌舞伎座裏)

歩いた日 H27.05.22 【中央区】 
 中央区役所付近に行く仕事があり、そこから地下鉄東銀座駅に戻る際にここを通りました。昭和通りの東側に並行する通りで、何年か前までの記憶では古い建物の飲食店等が多く残っている印象があり、今回もその雰囲気を求めて歩いたのですが、並行する木挽町通りも含めてビル化が急速に進んでいるようで、昭和レトロの香りは失われつつあるようです。
 さすがにここも住所は銀座2~3丁目の一角。築地に隣接するとはいえ、地価も高いでしょうし、近年の歌舞伎座の建て替え等で周囲の近代化の圧力もにわかに高まったということでしょう。実際この日もビル建設工事が一か所進行中でした。
 北からこの「木挽町仲通り」に入ると、2丁目は道幅がやや広いものの3丁目に入ると狭くなり(ここも「木挽町仲通り」なのか定かではありませんが同一に扱います)、あまり大きなビルは建ちそうにありませんが、通りの先に目をやると新歌舞伎座のビルの裏側が壁のように立ちはだかっていて、圧倒されます。
 それでも、ビル化された建物に挟まれて、居酒屋に使われているらしいどっしりとした風格の木造建築があったり、古くから営業している風情の「季節料理みよし」があるなど、ほっとする部分もあります。中ほど交差点角に青果店が営業しているのも良いですね。
 「木挽町」は、江戸城修築に従事する木挽きが住んだことに由来する地名で、芝居小屋も多かったのだそうで、Wikipediaによれば明治初期には一丁目から十丁目まであったとのこと。地名としては戦後まで残りましたが、「銀座」に組み込まれて消滅したのは惜しいことです。
 この通りの南の突き当たりで歌舞伎座と背を向け合うようにあるのが蕎麦の「木挽町砂場」です。あいにくこの日は昼食を他で食べてきてしまったばかりだったのでパスしましたが、またゆっくり来てみたいものです。
・なつかし度  ★★☆☆☆
・ぬくもり度  ★☆☆☆☆
・ひょうきん度 ★☆☆☆☆
・ふだん着度  ★☆☆☆☆
・ローカル度  ★★★☆☆

飲食店などが並ぶ一角
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ビルに挟まれて残る古い建物
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[№388]勝どきサンスクエア商店会

歩いた日 H27.01.17 【中央区】 
 中央区勝どきの勝どき商栄会を歩き、記事にしたのは2年近く前のことでした。この際にも、晴海通りと清澄通りが交差する勝どき駅前交差点の北角のビル内商店街は「勝どきサンスクエア商店会」という別組織であることを確認していたのですが、今回、月島を訪れた後に改めて行ってみたというわけです。交差点まわりにはさらに新たなビルが誕生し、2年の間に景観もかなり変わったようです。2020年の東京オリンピック開催が決まり、今後もこのあたりは大きく変貌していくことでしょう。
 市街地再開発で勝どきサンスクエアビルが誕生したのが平成8年。それまで晴海通り沿いにあった月島誠栄商業協同組合から店舗が移転するなどで、ビル内商店会が誕生したとのことです。ビルの1、2階及び地下1階の3層が商店群ですが、こうした誕生の経緯からか、入居店舗は街の個店という感じのものが多く、ビル内によくある全国チェーン店で目立つのはドトールコーヒーくらいです。
 大きな吹き抜けも有する整然とした空間で、独立した商業組織ではあるものの、近代的なテナントミックス等の管理がなされているようには見えず、夜の店が多い印象で、土曜の昼間では開いている店が数えるほど、という状況です。1階の晴海通りに面する個店の並び部分では、おそらく昔からの店舗が移転したと思われる青果店が営業していますが、他はほとんどシャッターを閉ざしています。
 周辺には急速に高層ビルが増え、その中にも新商店群が形成される中で、このビルの建設時期はある意味で早すぎたのかもしれません。旧来の路面型商店街をビル内に持ち込んでも、従来と同様の商売は難しいということでしょう。実際に再開発以前から続く店がこの中にどれだけあるでしょうか。
 昼食に、唯一営業中の飲食店といえる中華の「龍」で塩ラーメンを食べましたが、この店も開業は最近のようです。地下にエスカレーターで降りたところはスーパーの文化堂で、生活型消費はビル内ではここがほぼ独占している感じです。地下鉄勝どき駅に直結していますが、駅前商店街としての機能はほとんど見られないというところ。ビルがきれいなだけに少々残念です。区商連HPでは月島誠栄商業協同組合も残っていることになっていますが、ビル以外でその形跡は見つけられませんでした。
・なつかし度  ★☆☆☆☆
・ぬくもり度  ★☆☆☆☆
・ひょうきん度 ★☆☆☆☆
・ふだん着度  ★★☆☆☆
・ローカル度  ★☆☆☆☆

青果店のほかは閑散としている路面部分
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吹き抜け空間だが昼の営業店はわずか
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[№387]月島中央会

歩いた日 H27.01.17 【中央区】 
 月島といえばもんじゃ焼き。その中心は月島西仲通り商店街で、「もんじゃストリート」とも呼ばれます。月島がもんじゃで注目されるようになったのは昭和60年頃からでしょうか。当時、「土手」を作る食べ方を知らずに鉄板上にぶちまけて大変なことになった記憶があります。今回久しぶりに足を踏み入れるとそこはもう立派な観光地。もちろん、もんじゃ焼きの店ばかりでなく、昔からの洋品店、食料品店、米店なども残るのですが、もんじゃを求めて歩くグループやカップルで賑わっていて、もはや立派なA級商店街と見えました。
 そこで、あまのじゃくの私は別の商店街を探します。西仲通りの左右には小さな路地が多くあって風情を醸すのですが、一部は更地化していたりして、ここにも再開発の圧力を感じます。「月島中央会」も西仲通りに交差する道ですが、ここは一方通行ながら歩道つきの立派な「道路」です。西仲通りと清澄通りの間の100mほどの区間ですが、独立組織のようで「月島中央会」の街路灯もあります。
 中央区商連のリストにはないのですが区の資料に名前があり、それを頼りに探し当てました。ここにももんじゃ焼きを提供する店が混じるものの、古い看板建築の並びが残ったり、普通の居酒屋や理髪店、薬局なども混じり、B級度が高い感じです。やはり全体に「下町」の風情は濃厚ですが、観光客たちのメイン動線からは外れているため、車の通りはあるものの静かな雰囲気です。
 清澄通り側に抜けたところの交差点の向かいには中央区の月島区民センターが構え、こちら側の角には「下町の底力スーパー」と銘打った「フジマート」があり、その上は中層の住宅になっていて、地区「住民」の生活に密着したエリアの性格が濃くなります。
 一方通行の車道は半分が完全に区画線つきの駐車場と化しているのが残念ですが、それでも一組織としての独立性を保っているところは立派とも思われます。西仲通りは観光地としての雰囲気を保ち続けるでしょうが、晴海、豊洲などの近代化が進むウォーターフロントエリアに近い環境の中で、この中央会部分が長期的にどうなっていくのか、気になるところです。
・なつかし度  ★★★☆☆
・ぬくもり度  ★★☆☆☆
・ひょうきん度 ★☆☆☆☆
・ふだん着度  ★★☆☆☆
・ローカル度  ★★★★☆

月島区民センターに近い部分の居酒屋等
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古い看板建築の並び
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[№369]日本橋久松町(久松小学校北西)

歩いた日 H26.11.14 【中央区】 
 戦後の残土処理のために埋め立てられた浜町川の川跡上で、先般紹介した「問屋橋通り」の1ブロック隔てた南東寄りに、これまた昭和の面影が濃厚な一角があります。住所は日本橋久松町ですが、川跡街区の中央が日本橋富沢町との境界になっているため、裏面は富沢町ということになります。
 私はここも問屋橋通りの続きだと思っていたのですが、どうも違うようです。久松小学校側から入ると、肉の「鳥安商店」は3階建てのビルになっていますが、その先はもう昭和40年代ごろから時が止まったような佇まいの建物が続きます。一応、看板建築風の小さな古い建物が10棟ほど並び、その半数ほどが何らかの店舗として使っているようです。数年前は、昼時にはランチを提供する店がもっとあったように記憶しているのですが、今ここで平日のランチを扱っているのは、向かいの居酒屋「呂久呂」を含め3軒ほど。夜の居酒屋では、すばらしき葦簾張りの「櫻井水産」もありますが。
 3軒のうちのひとつ「二葉」で、店先に気のいい男性が立って道行く人に誘いの声をかけています。隣のラーメン店「大申」とどちらにしようか迷っていると、親しげに語りかけてくるので、この商店街は何という名なのかをたずねてみると、「名前はない」と。誘い込まれるように店内に入ると、「さば塩」しか残っていないとのこと。小鉢が2つついて、素朴な定食という感じです。
 女将さんによると、ここで親の親の代から60年やっているそうで、昔はこの裏の路地が飲み屋街で賑やかだったとのこと。今は「三丁目の夕日」の世界だねって。日本橋の近くにこんなところがあるって、写真を撮っていく人もよくいるそうです。「東京都はビルにしたいらしいけど、区画が小さいからね」と女将さん。本当に無粋なビルにはしたくない。昭和風情をこのまま残してほしいです。
 「ここは何という商店街なの?」と改めて聞いてみましたが、「大昔は商店街だったけど、名前つけてもねえ」だって。道の名前もないそうで、都心のすぐ隣にある無名のレトロ空間、というわけです。中央区の商店街振興プランの資料地図でこの位置に「八重洲商業協同組合」の表示があるのですが、ここは八重洲ではないし、謎です。やはり無名として扱いましょう。
・なつかし度  ★★★★☆
・ぬくもり度  ★★★☆☆
・ひょうきん度 ★★☆☆☆
・ふだん着度  ★★★☆☆
・ローカル度  ★★☆☆☆

都心の一角でレトロ感満載の通り
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なつかしい構えの店の並び
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[№360]問屋橋通り

歩いた日 H26.10.17 【中央区】 
 江戸・東京は元来が水の都。縦横に水路が走っていましたが、関東大震災や戦災のガレキ等で埋められたものも多くあります。戦後の残土処理で埋められた川のひとつが浜町川。2本の並行する道の間が川跡ですが、建物がびっしりで知らなければそれとわかりません。この川跡上の中央を走る細い路地に沿って昔ながらの木造店舗建築が並ぶ一角が「問屋橋通り」と呼ばれます。馬喰町、横山町の繊維問屋街に近い位置で、飲食店等が密集していたのですが、ずいぶん寂しくなり、せめて今の情景を記録しておこうと、昼飯時に潜入です。
 かつての川の中央にあたるこの路地が、東日本橋三丁目と日本橋富沢町の境界ですが、これも成り行き上やむを得ないことですね。地下鉄駅にも近いながら近代化から取り残されたようなここは、レトロ感濃厚で昭和風情を存分に味わえます。検索すると「問屋橋商栄会」の文字も出てくるのですが、中央区商連や区の商店街リストに表示はなく、組織も実体がなくなってしまったようです。
 入口でカメラを構えていたら、後ろから老婦人に声をかけられました。「静かになっちゃったよね」と。「こんなになっちゃうとは思わなかった」って。みんなここに住んで商売して問屋街に魚などの食材を忙しく運んでいたそうで、夜も賑やかだったそうです。「今、夜は人が来ないよ。問屋が景気悪くなっちゃったからね。みんなもういい歳だから仕方ないけど・・」だって。この老婦人、シャッターを閉ざした「魚大商店」の看板が残る店に帰っていきました。数年前に店を閉じたそうです。
 洋食店「キッチンハタノ」でランチを食しました。ここの女将さんも「昔はマーケットで賑やかで、良く働いた」と懐かしんでいました。厨房には息子さんらしき人が頑張っています。近隣サラリーマンの常連客も多そうで、ここは夜も開けているそうです。隣は寿司店で、向かいには持ち帰り弁当の「かかし」もあります。
 反対側に抜けたところにあるのが問屋橋交番。ここに唯一「問屋橋」の名が残ります。都心の一角で束の間のタイムトンネル体験ができるところですが、今後の動向が心配です。
・なつかし度  ★★★★★
・ぬくもり度  ★★★☆☆
・ひょうきん度 ★★☆☆☆
・ふだん着度  ★★★☆☆
・ローカル度  ★★★★☆

古い店舗建築が密集する問屋橋通り
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寿司店、洋食店、弁当店など
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[№330]新富商栄会

歩いた日 H26.07.12 【中央区】 
 中央区商連ホームページの紹介文には「新富1・2丁目、平成通りを中心とした一帯」とあります。中央区役所、中央都税事務所があるため何度か来たことがあり、都心の一角なので普段は多くのビジネスマン達が行き交い喧噪に包まれているのですが、今回訪れたのは土曜の夕刻近く。平成通りの車の通行もまばらで、嘘のように人が少なく静かです。
 新富町といえば明治初年から大正の関東大震災で被災し廃止されるまで存在した「新富座」を抜きには語れないでしょう。上記紹介文でも、「その後、歌舞伎座ができて中心は移動したものの、新劇のメッカと呼ばれた築地小劇場が近くにでき、下町情緒豊かな花柳界と芝居の町としての面目を保っていた」と記され、ウィキペディアでも「新富座は歌舞伎座と歩調を合わせながら明治の歌舞伎黄金時代を築くことに貢献していった」とあります。
 江戸・東京は水の都で、このあたりは縦横に河川・水路が張りめぐらされていました。商店街の南の起点が築地橋。しかし今、この橋の下に川はなく、首都高速のランプとなっており、さらにその下部には地下鉄有楽町線の新富町駅があります。ここから平成通りを北に進むとすぐ右に京橋税務署と中央都税事務所の建物がありますが、ここが「新富座」があったところだそうです。
 その向かいの築地橋寄りには時代を感じさせる銅板建築の建物が残っていて、思わず足を止めて眺めることができるのも土曜日だからこそです。その先左の「カレー名人」は一度入ってみたいカレー店ですが、この日はあいにく満腹状態。日を改めて来ましょう。周囲がオフィス街だけあって、この他にも飲食店が多く、平日のランチ時や夜は人で溢れることになります。
 地価の高い都心なので、オフィスビル一階の店舗も多いですが、交差する通りなどには古い商店建築もちらほら見られ、歴史を感ずることができます。新富町一丁目交差点角の平成通り沿いにはバブル期の地上げに耐えたと見られる2階建ての店舗建築が並び、見ただけでなぜかうれしくなります。一歩裏の通りには、ビルの谷間に新富稲荷の小さな社が静かに佇んでおりました。
・なつかし度  ★★☆☆☆
・ぬくもり度  ★★☆☆☆
・ひょうきん度 ★☆☆☆☆
・ふだん着度  ★☆☆☆☆
・ローカル度  ★★★☆☆

築地橋から見た平成通り(右が税務署(新富座跡))
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新富町一丁目交差点角に残る低層店舗建築群
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[№277]八重洲一丁目中商店会

歩いた日 H26.01.08 【中央区】 
 東京駅は、丸の内側駅舎の「復原」に続いて、先ごろ八重洲口側に南北の高層ビルをつなぐ「グランルーフ」ができたということで、どんなものかと立ち寄ってみたのですが、「ふーん」という感じですぐに退散し、八重洲通りを渡って北に向かいました。さくら通りの入口を越えて、八重洲通りが永代通りと交差する呉服橋交差点の手前で右に入る一方通行路が数本ありますが、中央区資料や区商連HPを見る限り、そのあたりが「八重洲一丁目中商店会」の領域のようです。
 実は、今回ここを訪れたのは、商店街散策というよりも、ネット情報で知ったランチスポットがお目当てだったのです。その店とは「ローマ軒」という名の大阪からやってきた「ロメスパ」店。夜は「ローマ酒場」という洋風居酒屋になる二毛作店です。
 「ロメスパ」とは路面スパゲティの略で、近頃都内に増殖している業態です。従来、コストパフォーマンスを追求する男性サラリーマンのランチにスパゲティという選択肢は入りにくかったのですが、おじさん一人でも気軽に入れるこの種の店が増えてきたのは喜ばしいことです。
 呉服橋交差点のひとつ手前から右への道沿いにその店はありました。韓国料理店や中華料理店などと並んで、「昼は焼きスパ ローマ軒、夜はローマ酒場」というとてもわかりやすい看板の店に入ると、20席ほどの狭い店内は1時過ぎというのにサラリーマン集団で賑やか。焼きスパは普通盛りでも400gというボリュームで、どれもワンコイン500円。醤油ベースの「ジャポネーゼ」に100円のビッグなトッピング「ジャンボウィンナー」を乗せて600円はかなりお得感があります。十分に満腹感を味わえました。ここではナポリタンにミートソースをトッピングすることもできるようです。
 なんだかグルメリポートのようになってしまいましたが、商店街としては隣接の八重洲仲通りの方が数段充実していて、ここは「商店会に加入しない店も増え」ていることもあって、その範囲さえも判然としません。ローマ軒の並びには歴史ありそうな「活魚料理 三州屋」などもあるのですが、店舗の集積感は乏しく、それらを横目で眺めただけで早々に日本橋駅方向に向かってしまいました。
・なつかし度  ★★☆☆☆
・ぬくもり度  ★☆☆☆☆
・ひょうきん度 ★★☆☆☆
・ふだん着度  ☆☆☆☆☆
・ローカル度  ★★★★☆

いくつかの飲食店が並ぶ通り
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焼きスパ「ローマ軒」で満腹
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[№241]横山町大通り(問屋街)

歩いた日 H25.08.28 【中央区】 
 ここは普通の商店街ではありません。多くの店が「小売りしません」と表示する衣料品の問屋街です。問屋街としては超A級なのでしょうが、一般庶民には馴染みが薄いという意味で敢えて取り上げます。ここの顧客層は全国から仕入れにやってくる衣料小売店の人たちなのです。
 日本橋横山町、馬喰町界隈は、衣料問屋街としては全国有数の集積規模を持ちます。江戸通り、清洲橋通り、清杉通りで囲まれた三角地帯を中心に多数の問屋がひしめき、平日の昼間は全国からの仕入れ客で賑わいます。小売店の直接持ち帰りのほか、各店頭には小売店へ発送する品が山積みされ、宅配業者が次々と集荷していきます。
 横山町大通りはその中心的位置を占めるところで、両側歩道のついた道沿い両側に各種衣料品の専門問屋がびっしりと並んでいます。大きく目立つところでは、山久山田、宮入、複数店舗を持つイチオクマーケット、呉服問屋の丸中や辻和など。清洲橋通り側入口脇には白衣の専門問屋もあります。
 問屋街の組織は、この大通りだけでなく一帯全域をカバーしているようで、その中心になっているのが「横山町奉仕会」のようです。大通り中央に「奉仕会館」を有し、ホテルも経営。「電脳問屋街」という立派なホームページも運営しています。
 私が良く行くのは、この奉仕会館の隣にある「サカゼン」。ここは問屋ではなく、都内各所に支店を持つ坂全の本店です。ビジネスからカジュアルまであらゆる紳士衣料を購入でき、すぐ近くに馬喰町店もあって、いつも両方を見比べて気に入るものを見つけます。そのほか、小売りする店としては、アクセサリー・雑貨の「スリーナイン」があり、ここは全品400円の「400円ショップ」です。
 このように特異な賑わいを見せる問屋街の中央ストリートですが、流通構造の変化は着実にここにも押し寄せているようで、エリア全体に問屋は減少を続けており、その跡地がマンションになる例も多く見られます。大学や専門学校などがここを舞台に各種プロジェクトを展開したりしていますが、今、問屋、卸売業はそのあり方を問われていると言えるでしょう。小売りお断りの現状スタイルのまま、どこまで続けていけるのか、新たな展開、変革も期待されるところです。
・なつかし度  ★★☆☆☆
・ぬくもり度  ★☆☆☆☆
・ひょうきん度 ★★★☆☆
・ふだん着度  ★☆☆☆☆
・ローカル度  ★★★★☆

平日昼の横山町大通り(清洲橋通り側から)
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横山町奉仕会館とサカゼン本店の並びなど
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[№211]日本橋三丁目西町会・商店会連合会

歩いた日 H25.05.27 【中央区】 
 都心のど真ん中にあって、町内会と商店会を足したような奇妙な名の組織ですが、この名称でちゃんと中央区商連に加盟しています。区商連ホームページ上の紹介文では、昭和25年に「日本橋通三丁目町会」として発足したものが、その後町名変更に合わせて「日本橋三丁目西町会」に名を変え、さらに地域活性化を目指して商店会組織を立ち上げて、平成21年に区商連に加盟した、という経緯が述べられています。
 日本橋三丁目は、八重洲通り、八重洲仲通り、さくら通り、昭和通りで囲まれたエリアですが、この「連合会」の範囲はこのうち昭和通り沿いを除く部分で、「西」がついていますが三丁目の8割方を占めるようです。都心の中心軸をなす中央通りが真ん中を貫きますが、それと交差する通りはいずれも幅6~8m程度で、ビルの影に隠れて目立たない裏通り的印象です。
 これらの通り沿いの商業施設としては、喫茶店などの飲食店のほか、画廊なども散見されます。商店会の東縁をなす通りは「美術骨董通り」ともいうようで、日本橋高島屋にも隣接することから、裏町ながらも価値あるお宝がたくさん潜んでいそうな気配です。ただ、ここと昭和通りの間の街区で大型ビルの建設も進められており、裏町の通りの雰囲気も変わっていきそうです。
 そういえば、昔、中央通り上に「通り三丁目」という都電の電停があって、都電の廃止が進んでいた頃、一時期ここが終点だった記憶があります。当時、子ども心に、ずいぶん乱暴な電停名だなと思っていましたが、なんと、八重洲通り上のバス停名として今も健在でした。「通り三丁目」とは、日本橋通三丁目のことで、この商店会の地区を指す名だったのですね。
 今回は平日の都内移動の途中だったので、お宝探しもせず通り抜けただけでしたが、都心でも一歩裏へ入ればまだまだ好奇心をそそる空間がある、という一例として紹介できると思います。
・なつかし度  ★☆☆☆☆
・ぬくもり度  ★☆☆☆☆
・ひょうきん度 ★☆☆☆☆
・ふだん着度  ☆☆☆☆☆
・ローカル度  ★★☆☆☆

画廊などもあるビルの谷間の通り
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飲食店も多い通りが高島屋の裏方面に続く
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[№210]八重洲一丁目商店会

歩いた日 H25.05.27 【中央区】 
 東京駅を八重洲北口に出て、外堀通りを挟んで真正面の位置ですが、人の流れの主軸である広幅員の八重洲通りや高島屋方面に向かうさくら通りではなく、その中間に八重洲仲通り方面に抜ける通りが3本ほどあります。中央区ホームページ上の「ちゅうおうナビ」によれば、このうち2本目目の通り上に「八重洲一丁目商店会」の表示があります。
 中央区商連には未加盟のようで、その実際の範囲や組織実態は判然とせず、「中央区商店街振興プラン」に掲載されている「商店街の位置」図では、同じ通りに「八重洲商店会」と表示されています。名称も不明確なまま、とにかくその通りを歩いてみると、都心の、それも東京駅の目の前なのに中小ビルが混在する裏町的な雰囲気で、幅6m程の一方通行道路には歩道もなく、半分はパーキングメーター付の駐車場と化している状況です。
 この一帯は大規模な再開発事業の対象にならないまま現在に至っているエリアで、各ビルのオーナーからすれば、十分な家賃がとれる場所柄なので無理に再開発して高層化する必要もない、ということなのでしょう。一時期、昭和通り下の都営浅草線から支線を作り東京駅に「接着」させて成田・羽田空港と直結させる構想が語られ、その駅をこのエリア近くの再開発と合わせてつくるという内容でしたが、その構想も、押上~泉岳寺間のバイパス線建設構想に取って代わられ、そこでの「新東京駅」は丸ノ内側に設けるとのことで、当面の再開発の「外圧」はなくなったようです。
 従って、この少々雑然とした裏町的な環境はすぐには変わらないと思われますが、東京駅八重洲口が新たな姿を表しつつある中で、新たな「外圧」が生ずる可能性もあるでしょう。
 現状の利用形態は、飲食店が主体ですが、予備校や貸し会議室の看板なども混じります。小さな路地のような横道もあったりして、東京駅前とは思えない光景も見られます。八重洲仲通りに出たところの角にある「升寿司」のランチメニューに惹かれ、鉄火丼大盛り800円也をいただきました。都心のど真ん中でこういう庶民的な雰囲気に浸れるのはありがたいことです。
・なつかし度  ★☆☆☆☆
・ぬくもり度  ★☆☆☆☆
・ひょうきん度 ★☆☆☆☆
・ふだん着度  ☆☆☆☆☆
・ローカル度  ★☆☆☆☆

片側が駐車場と化した裏町的な雰囲気の通り
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庶民的価格のランチがある「升寿司」
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[№176]勝どき商栄会

歩いた日 H25.02.20 【中央区】 
 都内の移動でちょっと回り道をして、地下鉄都営大江戸線の勝どき駅に途中下車しました。勝どきといえば、今は開かなくなった勝鬨橋で銀座地区と結ばれる都心の一角ともいっても良いところですが、月島や豊海と合わせて隅田川河口に展開する島の上の街です。近年は隣の島の晴海地区でも開発が進み、勝どき駅は、巨大な再開発地区である「晴海トリトンスクエア」への最寄り駅ともなっているため利用者が急増し、ホーム増設工事が進んでいます。
 勝どき商栄会はこの勝どき駅の真上に位置します。清澄通りに面する部分が主体ですが、片面は地下鉄ホーム工事でやや落ち着かない雰囲気になっています。晴海通りとの交差点に建つサンスクエアにも商店や飲食店が入っているようですが、商店会は別組織のようです。それも含めて近代的オフィス街の様相も濃いのですが、通り沿いには下町風の店も残り、新旧混在の妙が味わえます。
 交差点から北東方向では、ビルの一階部分ですが赤提灯をぶら下げたもんじゃ焼き店などを含む店舗の連なりが見られますし、晴海通りの晴海トリトンに向かう面でビルの一角が呑み屋街のようになっているのも面白いです。一方、交差点から南西方向に歩くと、日用品や灯油を扱う丸山商店が味のある店構えを守っていたり、下町住宅地と同じように青果を店先に並べる「平和青果」と蕎麦店併設のような「魚勝」が仲良く並んでいるのは、残したい貴重な風景だと思います。
 その並びにある「大むら」蕎麦店も魅力的なのですが、この日の昼食は、晴海通り沿いの勝どき2丁目バス停前にあるそば処「安べえ」にしました。風格ある構えですが、中はモダンなカウンター席が主で、手頃なサラリーマン価格でそば定食のランチがいただけます。なかなか美味な蕎麦で、厨房内も元気一杯でした。夜は近隣サラリーマン達の気軽な憩いの場となりそうです。
 東京への五輪招致で晴海に選手村が計画されるなど、周辺の再開発がさらに進む勢いですが、下町的な風情が失われないことを願いたいと思います。
・なつかし度  ★★☆☆☆
・ぬくもり度  ★☆☆☆☆
・ひょうきん度 ★★☆☆☆
・ふだん着度  ★☆☆☆☆
・ローカル度  ★★☆☆☆

新旧が混在する清澄通り上の商店街
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晴海通りに面するそば処「安べえ」
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[№159]日本橋八重洲仲通り商店会

歩いた日 H25.01.12 【中央区】 
 東京のど真ん中、東京駅八重洲口から徒歩数分に位置し、外堀通りと中央通りの中間で両通りに並行する道沿いの商店街です。八重洲と日本橋の境をなす道で、都心の繁華街の一角ですが、大規模な再開発の波に飲まれず、中小のビルがひしめく様相の街です。
 ただ、この「日本橋八重洲仲通り」という商店会組織の範囲が少々判然としません。中央区商連のホームページによる紹介記事では、仲通り(旧・西仲通り)の約300mの沿道にある商店の集まりとされ、加盟店舗は約40店とのことです。東京駅の真っ正面にぶつかる八重洲通りから、地下鉄東西線が通る永代通りまでの仲通り沿道と思われますが、一方、区のホームページからたどると、これに交差する道ごとにも商連未加盟のものも含めいくつかの商店街組織があるようで、少々複雑です。
 実際改めて歩いてみると、交差する通りも街路灯が共通だったりします。で、肝心の仲通りですが、街路灯の何カ所かに表示されている名称は「八重洲仲通り」です。最近名前が変わったのかな。
 それはともかく、八重洲からも日本橋からも裏通りという風情のところで、飲食店が多くある中に物販店も混じり、都心にありながらなんとなく人間臭さを濃く感じるほっとする空間といえます。人の流れは、この通りの中央付近で交差して東京駅と日本橋高島屋方面を結ぶさくら通りがメインで、その交差部周辺からこの通りに人が滲み出しているという感じです。
 島根県と新潟県の地酒を扱う居酒屋など、特定の地方と結びついた店もいくつか見られ、さくら通りに面するプラザビル1階には山梨県と山口県のアンテナショップもあります。
 そして、通りの永代通り側の入口近くに、何度か行って気に入った蕎麦店「やぶ久」があります。明治35年創業の老舗だそうで、小さいながら落ち着いた雰囲気で美味しい蕎麦がいただけます。この日は季節ものの「かき南ばん」をいただきました。それにしても、この「やぶ久」の隣には立ち食いそば店、さらにその並びや周辺にも蕎麦店が何店かあり、一見激戦区のようですが、それぞれに客層が分かれているのでしょう。蕎麦だけでも飽きない一角です。
・なつかし度  ★★☆☆☆
・ぬくもり度  ★★☆☆☆
・ひょうきん度 ★★★☆☆
・ふだん着度  ★☆☆☆☆
・ローカル度  ★★☆☆☆

「八重洲仲通り」の八重洲通り側入口付近
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蕎麦の老舗「やぶ久」など
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[№78]浜町商店街

歩いた日 H24.07.04 【中央区】 
 浜町中の橋交差点を中心に、新大橋通りと清洲橋通りに面した日本橋浜町2~3丁目一帯を範囲とする商店街で、組織名は浜町商店街連合会とのことです。この商店街に関しては情報が少なく、正確な範囲などがよく分かりませんが、新大橋通りを水天宮方面から新大橋方向へ、そして浜町中の橋交差点に戻って清洲橋通りを久松町方向へと歩きました。また仕事途中の寄り道です。
 浜町中の橋交差点の南東側は、「トルナーレ日本橋浜町」や「日本橋浜町Fタワー」といった再開発ビルが占拠し、商店街も押しつぶされた感じですが、残る部分には新旧の個店があります。
 中央区商連ホームページの商店街紹介では、隅田川の浜町河岸にはかつて水練場があり、また花柳界も加わって、憩いの場、癒しの場だったところが、戦後はビル化が進んで夜間人口が減少、商店街は厳しい状況に置かれるようになったと書かれています。確かに現状は、商店街として親しめる環境には乏しいようです。
 それでも、交差点角の文具店は、古めのビルで近隣のオフィスの事務用品需要に応えながら頑張っているように見えますし、ビル建設工事が進む隣で靴店や中華料理店が、その向かいではとんかつ店や「御海苔調進處」の看板を掲げる店などが、低層戸建てのまま健在なのにはほっとさせられます。一方、再開発ビルの下にはスーパーの成城石井やコンビニが都会暮らしの日常需要を支えています。
 巨大な一方通行の清洲橋通りの歩道は、甘酒横丁がぶつかる明治座の前あたりまでが商店街範囲なのでしょうが、ビル一階の飲食店が目立ちます。街路樹が大きく茂り、蒸し暑い季節には日差しを避けながら歩けるのがありがたいです。
 明治座の裏には浜町公園がありますが、明治座の観客のそぞろ歩きの場は専ら甘酒横丁で、浜町商店街に足は向かないでしょう。隅田川の浜町河岸が蘇えると良いと思いますがそれは夢ですね。
・なつかし度  ★☆☆☆☆
・ぬくもり度  ★☆☆☆☆
・ひょうきん度 ★☆☆☆☆
・ふだん着度  ☆☆☆☆☆
・ローカル度  ★★☆☆☆

「御海苔調進處」などが並ぶ新大橋通り沿いの一角
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清洲橋通りの緑豊かな歩道
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[№77]蛎東振興会

歩いた日 H24.07.04 【中央区】 
 水天宮前の交差点から新大橋通りを浜町方面に向かう部分ですが、水天宮交差点角の重盛の人形焼店は人形町商店街に属しますし、浜町中の橋交差点周辺は浜町商店街なので、蛎東振興会の区間はごく短いようです。しかも、区ホームページの商店街マップを見る限りでは、新大橋通りの両側か片側かも判然としません。浜町に向かって通りの右側は日本橋蠣殻町ですが、左側は日本橋人形町なのですから。
 で、右側を歩きます。都心のビジネス街らしく飲食店が多いですね。平日ですがランチタイムは過ぎていたので人の出入りはありませんが、見つけました。私の大好物の広島お好み焼きの店「みやこ亭」を。広島お好み焼きは、小麦粉と卵の薄焼きでキャベツや肉やそばなどを挟むスタイルで、広島・山口方面に仕事で通っていたころはいつも広島市内で食べていました。あいにく昼食後だったので、店の営業を確認しただけで後日の訪問を胸に誓いました。実は、広島市が東京での広島お好み焼きの推奨店リストを市ホームページで公開していて、この店の存在も知ってはいたのですが、現地で確認できたというわけです。
 さらに歩くと、飲食店群に混じってオーダーメイドのワイシャツ店があります。ビルの一階ですが、昔からここで商売していたという風情ですね。その先で、右から首都高速のランプがぶつかり、その向かいに帯状の公園がありますが、ここが「中の橋」です。といっても川はありません。
 かつての東京は運河が縦横に走る水の都で、この公園やランプも浜町川の跡を活用したものです。関東大震災の瓦礫で多くの堀が埋められたとも言われますが、水運にも大きな役割を担った川のある風景を思い描いたところで、住所が日本橋浜町に変わるので蛎東振興会はここまでということになります。商店街の名称はどこにも見当たりませんでしたが。
・なつかし度  ★☆☆☆☆
・ぬくもり度  ★☆☆☆☆
・ひょうきん度 ★★☆☆☆
・ふだん着度  ☆☆☆☆☆
・ローカル度  ★☆☆☆☆

広島お好み焼き店「みやこ亭」
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オーダーメイドのワイシャツ店「永福屋」
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[№53]八丁堀鈴らん会

歩いた日 H24.05.30 【中央区】 
 中央区は、銀座や日本橋といった全国区型、都心型の超A級商店街が目立ち、B級と言える商店街をみつけるのに苦労しますが、銀座からほど近い八丁堀でこの商店街をみつけました。地下鉄八丁堀駅がある新大橋通りの西側に並行し、八丁堀一~三丁目にかけて「鈴らん通り」があります。
 このあたりは、ビルが林立する都心ビジネス街にあってなお古き良き風情の名残が感じられるエリアで、車の往来が激しい広幅員の八重洲通りからこの通りに一歩入ってまず目に入ったのが、日枝神社例大祭・山王祭の文字です。江戸町人の心意気を感じますね。八重洲通りから二丁目側の入口角のビルも、どういう会社か不明ですがレンガ造り風の良い味を出しています。
 「鈴らん通り」と記された街路灯の下の歩道を歩くと、ビル建設中の一角もありますが、その一方で、バブル時代を耐え抜いたという風情の古風な建物も目につきます。「中華餃子」の暖簾を掲げた木製ガラス戸の店などは昭和の香りがプンプンです。鍛冶橋通り側の入口近くには、中央区教育委員会による「八丁堀の与力・同心組屋敷跡」の表示板があります。粋な庶民の味方として「八丁堀の旦那」たちが集まっていたところという説明がありますが、このような歴史は街並みが新しくなっても伝え残していくことが、街の個性づくりの上からも重要でしょう。ここに限らず江戸の歴史文化の街なかへの表現はもっとあって良いと思います。
 「八丁堀青柳」、「伊勢屋」というどちらも老舗らしい和菓子店が共存しているのも良いですね。ビジネスマン向けのランチを提供する飲食店も多いですが、それらも若者受けする現代風ではなく落ち着いた感じの店が多いように見えました。
 中央区は夜間人口が少ない区ですが近年は増加しており、働く人も含めて食品類等の購買需要は多いはずで、最近はミニスーパー等も増えています。この商店街直近の八重洲通りにも「マルエツプチ」があります。都心区の商店街も、日常の生活需要にどう応えていくか、その工夫しだいで商店街の展望も違ってくるのではないかとも思います。
・なつかし度  ★★★☆☆
・ぬくもり度  ★★☆☆☆
・ひょうきん度 ★☆☆☆☆
・ふだん着度  ☆☆☆☆☆
・ローカル度  ★★★☆☆

昭和の香りの建物も残る街並み
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和菓子の「伊勢屋」など
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[№52]東日本橋やげん堀商店会

歩いた日 H24.05.28 【中央区】 
 中央区の北東端、地下鉄都営浅草線の東日本橋駅と神田川に架かる浅草橋、隅田川に架かる両国橋などに囲まれた東日本橋二丁目を範囲とする商店会です。「やげん堀(薬研堀)」とは、江戸時代前期にこの地にあった矢の倉という米倉から隅田川の間に開削されたV字状の運河の名が今に残されたものです。堀は元禄年間に矢の倉の移転とともに埋められたとのことで、今はその姿を想像もできません。
 薬草などをひいて粉砕する製薬道具が「薬研」で、V字状の窪みの上で円盤状のローラーを上下させて使うものですが、薬研堀の名はこのV字形になぞらえたものだそうです。
 かつて堀があったと思われるあたりに薬研堀不動院があり、ビルの谷間に埋もれるようでありながらその独特な形状が目を引きます。天正年間からの由緒があるそうで、現在は川崎大師の別院でもあります。店舗は町内各所に点在していますが、不動院前の道路や地下鉄駅前の集積度がやや高く、そのあたりを中心に毎年末に「歳の市」と近隣の繊維問屋街の「大出庫市」が開かれます。
 東日本橋二丁目は旧町名が日本橋両国で、江戸期の両国橋西詰は両国広小路と呼ばれ、江戸随一の繁華街だったそうですが、今は都心の一角を占める位置にありながらひっそりとしています。馬喰町、横山町の繊維問屋街の延長上ですが、問屋の衰退により都心居住型のマンションや中小オフィス等も増えているようです。店舗はそれらにサービスする飲食系が比較的多いと見えます。
 台東区との境をなす神田川には多くの屋形船が繋留され、川に架かる柳橋とともに江戸の風情を感じさせます。かつては花街だった柳橋にも隣接する薬研堀界隈は落語にもよく登場しますね。また、ここは七味唐辛子の発祥の地でもあるそうで、両国橋近くには小さな唐辛子店があります。
 商店街としての賑わいは乏しいですが、江戸紫の街路灯もつき、歴史を辿りながら散策するには良いところと言えるでしょう。地区内には、雑然としたビルの谷間から正面にスカイツリーを眺められる街路もあり、また、両国橋の袂から隅田川越しにみるスカイツリーも絵になります。
・なつかし度  ★★☆☆☆
・ぬくもり度  ★☆☆☆☆
・ひょうきん度 ★★★☆☆
・ふだん着度  ★☆☆☆☆
・ローカル度  ★★★☆☆

薬研堀不動院前の通り
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ビルに挟まれたような薬研堀不動院
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